映画『リズと青い鳥』の徹底分析(大きくネタバレします。注意してください)ー大好きのハグとハッピーアイスクリームー

 

―もしかしたら退屈な映画だと思ってしまったかもしれないあなたへ―
 
 この『リズと青い鳥』という映画はどういう映画なのだろうか? 少し乱暴にその見取り図を提示してみよう。 ―主人公は思春期の「仲の良い」二人の少女である。二人は成長していく過程でお互いの個体差に直面する。それが優劣を伴う差だとすれば、彼女たちが友情を維持していくことは極めて困難なものとなるだろう。その困難を二人はどう乗り越えていくのか― これがこの物語の骨格だととりあえあず仮定する。この仮定を元にそれがいったいどのように描かれているのかつぶさに分析していきたいと思う。
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■アヴァンタイトル 物語の前提
 
 楽曲「リズと青い鳥」第三楽章が京都アニメーションのオープニング・ロゴから流れ始める。
 映画の冒頭は「絵本世界」から始まる。孤独なリズは森の動物たちに餌を与える心やさしい少女である。動物たちから慕われていることが場面から見て取れる。そんな少女が美しい青い鳥と出会う。「空の青を映した湖のような」(セリフの引用は筆者の記憶による)その美しさに彼女は心奪われる。
   
 一転して、「リアル世界」。鎧塚みぞれが歩く歩道。このカメラ・アングルはTVアニメにはほとんど登場しないアングルで、「映画」が始まったことを強く印象づける。舞台となる北宇治高校のエントランス。それはTVアニメ『響け!ユーフォニアム』第一期第一話アヴァンタイトルで主人公黄前久美子が「暴れん坊将軍オープニングテーマ」をデモ演奏する吹奏楽部と初めて遭遇した場所だ。この場所に本作の主人公のみぞれが登場することは極めて象徴的と言える。
 早朝の淡い光に包まれた青を基調とした世界。タイトルに青という色が含まれている以上、この「色」は映画を観る上で重要なカギとなるだろう。本作の世界観が提示されていく。透きとおるような空気感。リアルに描き込まれる背景。細い線で繊細に縁取られる人物。美しく、清涼感があり、今まであまり見たことのない魅力的な世界だと感じられる。
 階段に座り込んで誰かを待っているみぞれ。けだるく所在無げな彼女は自分の足を延ばすことさえ何か窮屈そうだ。彼女が誰かを待っているとわかるのは、最初に通りすぎた少女(図書委員の子?)の存在が示唆している。本作の音楽を担当する牛尾憲輔のノイズがリズムへと変わる時、本作のもう一人の主人公、傘木希美がいかにも軽やかに登場する。その自由に踊るような彼女とその後を追うみぞれとはあざやかにコントラストを成す。
 
 道に落ちていた青い鳥の羽根を拾う希美。綺麗な青い羽根。希美はその青い羽根をみぞれに贈与する。「ありがとう?」と受け取るみぞれに「なぜに疑問形?」と返す希美。ここで注意しなければならないのは最初に疑問形をとったのは希美の方だったことだ。「あげるよ?」とちょっと変わった言い方をした希美に「ありがとう?」と応えたみぞれの対応はただ論理的だったにすぎない。このみぞれの希美に対する論理的対応はこの後も何度か反復されることになる。「ど、どういたしまして」と慇懃に礼を返す希美にその自覚はない。
 
 軽やかにステップを踏むように歩く希美、その後を追うみぞれ。二人は早朝の音楽室に向かって歩いている。希美のポニーテールが左右に誇らしげに揺れる。その後を見つめるみぞれ。中学生時代の記憶が重なる。昇降口での靴の履き替え、冷水器での給水といった希美の行為を真似るかのようなみぞれだが、希美の軽やかな歩きや、角を曲がる時のスイングを真似ることはできない。階段のところではっきりと二人の上下関係が浮き彫りになる。常にみぞれより上の位置を占めて、時折、みぞれを見下ろす希美。距離が離れるみぞれを上で待っている希美。その度に嬉しそうに、眩しそうに希美を見上げるみぞれ。ここに二人の関係性がはっきりと提示されている。
 あと、見逃してはならないのはこの間に挿入されている校舎の窓の外に二羽の小鳥が木に飛びこんでいくショットである。この二羽の小鳥は端的に希美とみぞれを表していると見ることができるだろう。生命力に溢れた思春期の少女たちは朝の小鳥たちのようだ、という直喩は映像表現においては並列という形式で表現されるものである。また、文脈においては、この小鳥たちが先ほど希美が拾い上げた青い羽根の持ち主であると見ることもできるのである。
 
「disjoint」
 白地に浮かびあがる手書きの単語。この“サブタイトル”は二人が音楽室に入ったタイミングで提示される。この言葉が二人の関係性に潜むものと考えるのが妥当だろう。「非結合」。だが、字面から想像される意味とは別に、名詞としては数学の用語のひとつ「互いに素」という意味である。
 
 音楽室に入った希美とみぞれ。来るべきコンクールの「自由曲」が「リズと青い鳥」という楽曲であることを喜ぶ希美に対し、みぞれは浮かぬ顔をする。
 「リズと青い鳥」の物語は、一人ぼっちのリズとその元にやってきた青い鳥。二人は仲良く暮らしていくのだが、リズは青い鳥の幸せを願い、自ら別れを告げるという悲しい結末。そのあらすじを聞きながら、みぞれは自分の過去を重ね合わせる。中学の時に独りぼっちだったみぞれを吹奏楽部に誘ってくれたのが希美だった。それから二人はずっと友達同士だ。希美も「この物語って、私達に似ているね」と言葉にする。ここで、リズ=みぞれ、青い鳥=希美という図式がこの映画を見ているものにも刷り込まれる。この説話上のこの誘導をとりあえず我々も受け入れよう。
 
 リズと青い鳥の絵本を広げ、みぞれの真横に席を移動する希美。二人の距離がぐっと縮まると、みぞれはまるで好きな女の子に近寄られた少年のように、酸素を求めて文字通りあっぷあっぷ状態になる。それでもそのチャンスを逃さないように身体をそっと希美に寄せていく。これはもう友情どころではなく、恋であるとしか見えない。それも片思いの奥手の少年の。みぞれはもう少しで希美の肩に頭を乗せるぎりぎりのところまでその身を寄せていく。その寸前で希美は自分の席にもどってしまうのだった。やがて、同じ三年生の吉川優子と中川夏紀が音楽室に入ってくる。つづいて、TV版の主人公二人も到着し、ついには希美のパート仲間も到着し、希美はあっさりとパート練習のために音楽室を出て行ってしまう。こうして、早朝のみぞれの甘い時間は終わりを告げる。「早く本番でこの曲を吹きたい」と言っていた希美に対し、一人になったみぞれは「本番なんて一生来なければいい」とひとりごつのだった。
 
 
 
これで、映画のアヴァンタイトル部はほぼ終わりだ。そして物語の前提がはっきりした。
 ここからは、それぞれの登場人物に着目し、詳細に映画の内容を分析していきたい。
 
 
■鎧塚みぞれ
 本作のヒロイン。引っ込み思案で、自己否定的、しゃべることも苦手そうで、自分の意思をはっきりと示すことがない。希美に対して友情以上のものを感じている少女。それは映像の中でどのように表現されているのだろうか。
 例えば、彼女が時折触る自分の耳前の髪。彼女は言葉で返答する代わりに、この仕草で自分の心情を表している。表しているというのは語弊があるだろう。これは彼女の積極的な表現ではなく、自分が何かを感じている時に思わずその行為に出てしまう癖のようなものだ。私たち観客はそのパターンによって、彼女の気持ちを推し量ろうとする。彼女は肯定の気持ちの時に、自分から見て左の耳前の髪の房を握り、逆に、否定の時に右の耳前の髪を握っているように見える。だが、それも決して一定しているわけではない。
 また、後述の剣崎梨々花が誘う“ダブルリードの会”への入会を断る時も「私なんかが居ても楽しくないから」と極めて自己否定的なことを言う。ある意味で、自分自身に自信の持てない女の子という風にみることができる。
 彼女の瞳についても、特筆すべきだろう。この映画の特別な表現方法の一つに瞳の描き方があげられる。映画冒頭からみぞれの瞳は非常に特異なものとして描かれている。瑞々しく、まるでゼリーか何かのようにぷるぷるとして、今にも流れ落ちそうな瞳。その形を辛うじてとどめているのは表面張力だけかのようだ。こうした瞳の表現を私たちは生まれてはじめてスクリーン上に目撃したと言っていい。この繊細なゆらぎはこころの揺らぎをそのまま写し取ったかのようで、決して触ることできない、触れば壊れてしまう何かを私たちに見せてくれる。そして、その色。赤い色はリズのイメージカラーでもある。彼女の瞳の色は生まれながらにして、リズの役割を背負うことを運命づけられているかのようにみることもできる。だが、私たちが見落としてはならないのは彼女の赤い瞳の奥底に青い色があることだ。青とはもちろん、青い鳥のイメージカラーである。赤い瞳の中にある青。それはリズ=みぞれの中に青い鳥が内包されていると言えるかもしれない。
 そのみぞれはなぜ本番がくるのがいやなのか?それは単純に本番とはみぞれたち三年生にとっては最後のコンクールであり、それが終わってしまえば、希美との特別な時間も終わってしまうというのがまず考えられる。だが、みぞれにとっては、「リズと青い鳥」という楽曲が好きではないということが挙げられる。彼女は当初からリズの気持ちがわからない、といっていた。愛するものを自ら手放すなんて私にはできないというみぞれ。それは青い鳥役の希美と別れることができないということだ。
 それは、つまり、リズの気持ちがわからないから、演奏ができないということなのか?
 それとも、リズの気持ちで演奏すると、希美が青い鳥のように自分から離れていってしまうということなのか?
 
 冒頭でみぞれは希美に対し、練習は好き?と問うていることを思い起さねばならない。みぞれは希美にもっと練習して欲しいという気持ちをもっていたとみられる。それはやはり、みぞれが自分の演奏をどこかでセーブしていたことになるだろう。では、なぜ、みぞれが自分の演奏を解放することができたのか?そこにはどういう意味があるのか?それがこの映画の一番重要な部分となることは間違いないだろう。それについては後半のセクションで吟味しよう。
 
■傘木希美
  本作のもう一人のヒロイン。前述のように非常に軽やかで自由、活発にして社交的な少女。当然、誰がどうみても彼女こそ青い鳥のイメージそのものである。しかし、絵本「リズと青い鳥」のように青い鳥を閉じ込めているケージとなりうるものは希美にはない。強いて言うならば、希美を閉じ込めているのはみぞれ本人なのではないかと思えてくる。あるいは、吹奏楽部そのもの。
  希美は極めて面倒見のよい先輩である。フルート・パートの後輩たちから慕われ、いつも仲良さそうにパート練習を行っている。それは他のパートの人間からも羨まれるほどだ。(だが、注意しておかねばならないのは、このパートの先輩後輩が一緒に駄弁りこそすれ、フルートの練習に励んでいるシーンは一切ない。)
  希美の面倒見の良さは同じパートに限ったことではない。剣崎梨々花がみぞれの守りの硬さに相方である希美に接近した時も、別パートの後輩相手にもかかわらず非常に丁寧な対応をしてみせる。そのくだりは、廊下で偶然、希美を発見した剣崎が、ひと呼吸置いてから、「あっー」と声をあげる。別に驚いているわけではない。希美の気を引くための声である。この時点で、男子高校生同士ならば「なんだよ!うぜー」で終わりとなるところだ。だが、希美はちゃんとこの見え透いた声を聞き届け、(何か御用かしら)という顔を剣崎に向ける。剣崎の応えがないことを見とどけてから、(では失礼します)と言った趣きでその場を立ち去ろうとする。剣崎は希美の一連の対応を確認し、それを「話してもOK」のサインと受け取って、彼女に相談を持ち掛けたと、そのように見える。それは女子高生たちの、顔は知っていても普段話したことのない先輩と会話しようとするときの作法、暗黙の了解であるかのように見えて非常に興味深く思えた。ま、それはともかくとして、希美のこの後輩たちに対する丁寧な対応と、それ故に慕われる様は、映画冒頭の絵本世界でリズが森の動物たちに餌を分け与え、慕われているイメージと重なっているように思える。少なくとも、みぞれ=リズと考えた時にみぞれにこのイメージはない。せいぜいフグに餌をやる程度で、様々な動物たちに囲まれ、アライグマにタッチされて餌をせがまれるようなイメージはないのである。
 このように、最初に固定化された、リズ=みぞれ、青い鳥=希美といったイメージを、徐々に崩していく、あるいは反転させていくような要素が随所に散りばめられていることに敏感であらねばならないだろう。それは希美の瞳にも表れている。彼女の瞳は青く、青い鳥のイメージと重なる。だが、非常に分かりにくいが、その瞳の中心には赤い色が見えるのである。みぞれの場合とは逆に青い鳥のイメージの中に赤いリズが内包されているのだ。また、彼女がつけている腕時計の色も赤である。だが、この赤はリズのイメージに留まらない。同じ赤い時計をTV版での主人公、黄前久美子もつけているのだ。ここで示唆されるのは傘木希美と黄前久美子の同一性である。それはTV版での高坂麗奈黄前久美子の関係性において、希美が久美子と同じポジションにあるということ、なのかもしれないし、または、今の希美のポジションがこの後に公開が予定されている『響け!ユーフォニアム』新劇場版での黄前久美子のポジションとなることの予告ではないか、という穿った見方もまた可能であろう。
 
 
 
 
■剣崎梨々花という存在
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 みぞれに積極的にアプローチしてくるオーボエの後輩。彼女の行動がみぞれの心に変化を与えた最初のキーになっていると考えられる。希美がフルート・パートのリーダーとして形成している仲のよい先輩後輩グループに憧れたのを主たる動機として、みぞれに積極的にアプローチをかけてくる一年生。既に彼女は楽器の共通点から“ダブルリードの会”なるものをファゴットの少女たちと結成しており、三年生の先輩であり、自らのパートの先輩でもあるみぞれの入会を強く望んでいる。度重なるみぞれのつれない態度から、希美に相談するなど、非常に社交的な少女である。注意すべきなのは希美に相談した際に、そのお礼として、たまご(コンビニのゆでたまご)を贈与していることだ。“贈与”というモチーフでは、同様に希美がみぞれに青い羽根を贈与している。
 この梨々花の贈与行為は、いきなりコンビニで買ったゆでたまごをお礼に渡すという「ちょっとピントのずれた不思議ちゃん」的な単なるキャラクター付けとして終わらせることはできないだろう。たまごが鳥に関係していることからみても明らかだ。たまごの象徴について考えると、古くからキリスト教圏においてはイースターエッグのように「復活」の象徴とされている。我が国においても、「金のたまご」と言うように、将来性、可能性、希望、誕生と言った意味あいが考えられる。また、物語の小道具としては、何が生まれるかわからないところから「時限爆弾」の意味も持ちうるだろう。
 また、劇中、何度も剣崎梨々花は鎧塚と名前を言い間違えられることにも注目すべきだ。もちろん、ケンザキとヨロイヅカの言い間違えは通常起こり得ない間違いであることからなんらかの示唆を考えるべきである。ここで思い浮かぶのは剣と鎧のトロープである。真っ先に思いつくのは矛と盾の関係である。二人の性格は矛盾の関係であると言えるだろう。開放的⇔閉鎖的、おしゃべり⇔無口といった。
 また、剣が鎧を徐々にではあるが切り開いていったとも言える。だが、それは決して鋭く攻撃的であったわけではない。剣と鎧の「闘い」を追ってみよう。
 みぞれは練習場所としてのひとりの教室や、フグの水槽がある理科室に引きこもる。これが部屋という閉鎖空間であることにも意味がある。それはまさしく、彼女の「鎧」だ。また、それは鳥かごのイメージとも重なっていると見ることができる。みぞれ=リズのイメージの反転がここにも見られる。
  さて、そうした彼女の「鎧」の内側に入り込んでくる「剣」崎梨々花だが、足繁く彼女の教室を訪れていた彼女は、ある日、来るべきコンクールへの出場オーディションに落選したことをみぞれに告げる。そこで剣崎梨々花は「先輩と一緒に(みぞれの最後の)コンクール出場したかった」自分の気持ちを伝え泣き崩れる。これを受けたみぞれの行動が、後の「プール・インシデント」と繋がる(jointする)ことになる。「プール・インシデント」とは映画後半で練習の強化のために音楽室に毛布を敷き詰めているみぞれに希美が窓を開けながら「夏だねー思いっきり水浴びしたい。」とプールに行くことを提案するシーンのことを言っている。その時、みぞれは剣崎梨々花を一緒に連れていきたいと申し出る。このシーンの経緯には他にも複雑な繋がりがあるのだが、それについては後ほど詳細に論ずるとして、ただ、ここでは膨らみ始めていた希美のみぞれに対するある感情をさらに増幅させる結果になったことを強調しておきたい。もちろん、みぞれにしてみれば、剣崎梨々花をプールに誘った理由は単にオーディションに落選した彼女を慰めたいという思いからであったにすぎない。
  後日、再びみぞれの下を訪れた剣崎梨々花はうやうやしく携帯のプール写真をさしだし、みぞれとのコンクールの代わりとなるような思い出ができたことを喜ぶ。そして、二人は更に仲良くなり、その場で一緒にオーボエの合奏を始める。このオーボエのアンサンブルには私たち観客にも伝わるほど楽しそうに聴こえる。それは教室の外にも鳴り響き、別の場所にいる希美の耳にも届く。オーボエが合奏しているということはみぞれが他の誰かと合奏していることであり、その事実は希美を何故か苛立たせた。それは剣崎梨々花が贈与したたまごがある意味で希美の中で孵化したと見ることができるだろう。もちろん、たまごの意味はそれだけではない。そもそも剣崎梨々花はリズ属性である赤い髪を持った少女なのだ。
 こうして、剣崎梨々花はみぞれと仲良くなることに成功し、次回はファゴット隊を引き連れて登場、遂にみぞれを“ダブルリードの会”に引き入れるのである。それはみぞれにとって、自分が希美と同等に先輩後輩の仲良しグループを手に入れたことを意味していた。
 
 
■吉川優子と中川夏紀 高坂麗奈黄前久美子
 
 この吹奏楽部の部長である吉川優子と副部長は中川夏紀はとても仲のいい友達同士である。剣崎と鎧塚の例に倣って、二人の頭文字に着目すると「中」と「吉」で「なかよし」となる見方もある。二人の自然な友人関係はみぞれと希美の関係を対比的に際立たせると共に、みぞれと希美の同級であることから、彼女たちをサポートする役回りとなっている。希美が終盤に“気づき”を得るために、二人はその導き役ともなる。
 吉川がトランペット、中川がユーフォニアムを担当していることから、二人はそれぞれ高坂麗奈黄前久美子の直接の先輩でもある。TV版での主人公である黄前久美子は本作ではほとんど出番がないが、高坂麗奈は重要な役どころを担っている。どうしてもリズの気持ちがわからなくてオーボエの演奏に精彩を欠くみぞれに麗奈は面と向かってはっきりと、「鎧塚先輩の本気のオーボエが聴きたい」と詰め寄る。この言葉がみぞれの気持ちをゆり動かした、などと言うことはもちろん、ありえない。そんな単純なお話ではそもそもないのだ。なら、何が重要なのかと言えば、その後につづく「希美先輩が自分に合わせてくれると思ってないから」とみぞれの気持ちを鋭く言い当てることだ。これがみぞれという少女の複雑な心理を読み解くうえでひとつの鍵となるだろう。この映画を観ている私たちはこの時点ではまだみぞれの音楽的実力を知らない段階である。また、希美に依存しているかのように見えるみぞれが「いつか希美が自分(みぞれ)に合わせてくれることを待っている」と考えることはあっても、「合わせてくれる」と端から「思って」いなかったなどとは想像もしていなかったことではないだろうか。やはり、みぞれは自分の本気の演奏が希美との関係を破壊してしまうことを恐れている、ということなのだろうか?
 
 
■新山聡美 二人に訪れた決定的な出来事
 新山聡美は吹奏楽部顧問の滝昇が連れてきた外部の指導者である。その新山先生がみぞれの前に唐突に現れる。毎年、期間限定で指導に来るとは言え、この登場は吹奏楽部の練習時に同じく外部指導者である橋本真博と共に部員たちの前で紹介される以前のことだったので、ちょっと不思議な登場ではある(理科室にいたみぞれに新山先生は梨々花に居場所を聞いたというのだが、この時、前述のように、新山は鎧塚みぞれを前にして、梨々花のことを「鎧…剣崎さん」と誤謬するのだ)。ましてや部外者である彼女がみぞれの進路調査票が白紙であるという個人情報まで知っていることも多少ひっかかるところではあるが、それはさておき、彼女はみぞれに音大への進学を薦める。そして、みぞれはその新山にもらった音大のパンフレットを持っていることを偶然、希美に知られてしまう。これはこの映画における最大の事件である。希美はみぞれがあの新山先生に音大進学を薦められたという事実に衝撃を受け、思わず自分も音大を受験しようと口走ってしまう。みぞれはこの希美の言葉を受けて、もともとピンと来ていなかった音大進学を、希美と一緒の大学に行きたいという理由から、決意することになる。この瞬間から二人の関係性は大いに揺らいでいくことになる。二人の間にある不協和音が決定的に前景化していくのだ。
 
 
 
■みぞれと希美①二人の亀裂
  そもそも、みぞれと希美のお互いの関係性の確認は極めて儚いものだった。音楽室での全体練習の時、お互いに目があえば、口パク(OFFセリフ)で「がんばろう」と励ましあうこと。フルートのパート練習で使っている教室と向かい合う理科室の離れた窓越しに、希美が持つフルートが放つほんの小さな反射光を受けるみぞれ。みぞれと希美はその小さな反射をお互いに確認しあうことで喜び合えた。また、こんなこともあった。図書室でみぞれが借りた「リズと青い鳥」原作の文庫本の返却期限が過ぎていることを図書委員の少女にしつこく責められている時、さっそうと登場した希美はみぞれを庇う。その帰り道の廊下で、希美は「私が借りたの(絵本)を貸してあげたのに」と言う。それを聞いたみぞれは「それはいけないことなのです。図書室の本はみんなの本であり、又貸しはいけないのです」と先ほどの図書委員の口真似で希美の申し出をしつこく拒否する。これを聞いている私たち観客は思わずみぞれが何を言い出しているのかと訝しく思うのだが、希美はそれがみぞれのギャグであると理解して笑うのである。
  そんな二人の関係はみぞれの音大進学の話でもろくも崩れ去っていく。希美はみぞれに差をつけられたことが許せなかったのだ。
  音楽室に集まって練習スケジュールを練る吉川優子と中川夏紀、そして、みぞれと希美の4人。いつしか進学の話題になり、みぞれが音大を受けることを知る吉川と中川。見せつけるわけではなく、ただ目の前にピアノがあったからという体で器用にピアノを弾き始めるみぞれ。振り返ってみれば、みぞれが子供の時にピアノを習っていたという話はない。楽器を始めたのは中学の頃からだ。しかし、上手にピアノを弾きこなすみぞれ。そんなピアノを聴きながらみぞれの音大行きを納得する二人だが、希美が音大を受けるからみぞれも音大を受験することにしたという経緯を知って露骨に怪訝な顔をする二人。ピアノの件といいみぞれと希美の音楽センスの差は吉川と中川の二人の耳にも明らかなことだったのだ。
 折しも、「あがた祭り」の季節。希美はみぞれに一緒にお祭りに行こうと誘う。相変わらず、諾否の判別がつかないみぞれに希美は他にも一緒に行きたい人はいないかと問う。みぞれが一人であることに対する希美の反応は「安心」だと捉えることが出来るだろう。結局、祭りはこの四人で行くことになる。
 そして、これが先述のプール・インシデントに繋がる。そんなことを知る由もないみぞれは、後にプールに行こうという希美の誘いに剣崎梨々花を誘うことを申し出ることになる。みぞれにしてみれば、この祭りの誘いの時の「他に一緒に行きたい人はいないか」という問いを受けてのことだったのだ。だが、希美にしてみれば、大きなショックだったことを、文字通り見逃してはならない(そのそぶりは一瞬だ)。そして、みぞれと剣崎梨々花のオーボエ合奏を耳にする希美。もう一人ではなくなってしまったみぞれに苛立ちの表情を浮かべる。そして更に、全体練習の時に、みぞれの横に座った新山の姿を見て、嫉妬の念を燃やす。希美に気付いたみぞれが例のごとく小さく手を振って合図を送るが希美はそれを無視してしまう。
  希美は、意を決して、新山先生に自分も音大に行きたいことを告げる。新山は決してそれを否定することなく「私にできることがあればいつでも相談してね」とやさしく応える。だが、もちろんそれは希美が期待したものではなかった。客観的に見れば新山の対応に悪い印象はなかったのだが、希美にとっては残酷な答えだった。それは、希美の足の動きをみればわかる。一歩下がる=新山先生から離れる、そうした小さな動きだけで、少女たちは自分の感情を表すのだろう。それはこれまでのみぞれの小さな振る舞いが大きな意味をもっていたことと同じだ。少女たちの足の動きは後述するみぞれとのラストの「大好きのハグ」の時にも反復されるのだが、その小さな動きはこの新山との場合とは大きく違うものだった。
 
 
■みぞれと希美② 何が彼女たちを変えたのか?
 
  まず、初めに挙げることができるのは、高坂麗奈黄前久美子コンビによる楽曲「リズと青い鳥」第三楽章の合奏だ。麗奈のトランペットがみぞれのオーボエ・パートを吹いている。中川夏紀曰く「気の強いリズ」。希美はこの演奏を吉川・中川コンビと一緒に聴いている。みぞれはひとり校舎の廊下でこの合奏を耳にし、わざわざ窓を開けて聴く。のぞみはそのまま通り過ぎていってしまう(新山の待つ音楽室に向かう)が、希美にはみぞれがいかに遠慮して演奏していたことがよくわかったのかもしれない。 
 
希美の場合。
 吉川優子と中川夏紀を前にして、自分の本音を語りだす。みぞれに負けたくないという気持ち。それだけで音大受験を口走ってしまったこと。でも、自分に音大で頑張っていく理由がないこと。だから、普通の大学に進学しようと思うこと。
 それを吉川は責める。一年生の時、吹奏楽部をみぞれに黙ってやめたことも含めて「どれだけ、みぞれを振り回しているのか」わかっているのかと。しかし、みぞれの表情に変化はない。それどころかある意味ふてぶてしい表情をしているようにもみえる。そして、自分の親指の爪をいじり出す希美。だが、その指には次第に力がはいりだすように見える。
 
みぞれの場合。
 理科室で新山先生と向かい合い「リズと青い鳥」の演奏について話しあっている。
  自分から好きな相手を突き放すなど自分にはできないというみぞれに新山はもっとリズの気持ちを考えるように促す。ここから画面は絵本世界となる。リズは突然、青い鳥の少女に別れを告げる。リズは言う。あなたには翼がある。その翼でこの広い世界のどこへでも飛んでいける。それを私のワガママで縛ることはできない。あなたはその翼で世界に飛び立ってほしい。その言葉を聞いて悲しそうな顔をする青い鳥の少女。だが、意を決して、少女は家の扉から出ていく。
  みぞれの「好きな相手を自分からツキハナス」という言葉に見られるように彼女は最初からリズの気持ちを誤解していたように思える。映像にはみぞれの声がだぶる。‐リズは青い鳥を愛しているからこそ、青い鳥のためを思って解放する‐。だが、ここである変化が現れる。みぞれはリズの心を語りながら、いつしか、青い鳥の少女の心の内を語り出している。‐大好きなリズからこのように言われれば、青い鳥は飛び立たずにはいられない。青い鳥がリズの元を離れて飛び立つこと、それが青い鳥のリズへの愛なのだ‐というように。リズが青い鳥を解放することも、青い鳥がリズをおいて飛び立つことも、愛ゆえのこと、それをみぞれは同時に了解する。ここにリズと青い鳥の境界はなくなり、同じひとつの愛だけがあるかのようである。リズと青い鳥の思いは一つであり、リズと青い鳥は対立するものではなかったことがわかる。絵本世界のリズと青い鳥の声が一人の声優で演じられているのも恐らくこのためだろう。
 
 画面はリアル世界の希美とみぞれをクロスカッティングで繋ぐ。
 希美「これまでみぞれがリズで」みぞれ「希美が青い鳥だ思っていたけど」希美とみぞれの二人は同時に声にだしながら「今は…」。次のセリフはオフになっている。二人の口の動きからみても、文脈から考えてみても二人は同時に「逆だ」と言っていることがわかる。
 次の瞬間、スクリーンには無数の青い鳥が飛び立つショットが映る。一羽の青い鳥ではなく、無数の青い鳥なのは極めて象徴的だ。これは多重化による強調ではない。この象徴の意味については後述する。 
 
 
■みぞれと希美③ 圧倒的なオーボエのソロと大好きのハグの三段階
 
 圧倒的なまでのオーボエソロの描写についてはここに書いても仕方がない。完全に解放されたみぞれにはリミットがないかのようだ。だが、私たちはみぞれのオーボエだけに聴き惚れているわけにはいかない。応える希美のフルートの震え、音にならない息遣いを聞き逃してはならないだろう。
 演奏終了後、部員たちに讃えられるみぞれ。だが、そこには希美の姿はない。音楽室から消えた希美はあの理科室にいた。
 すっかり音楽的実力の差を見せつけられてしまった希美はみぞれに取り付く島も与えず、自分の本音を吐露する。みぞれが自分に気兼ねして本気をだしてこなかったと見えること。みぞれに負けたくなくて音大受験を言ってみせたこと。自分に才能がないこと。自分がみぞれに嫉妬していた(恥ずべき人間である)こと。そして、「みぞれはずるい」と言う。だが、みぞれはこれに反論する「のぞみは勝手だ」と。ここで希美は初めて自分に反論したみぞれに驚いている。それでも、なんとか引き離そうとする希美となんとかつなぎとめようとするみぞれ。ここでの二人の葛藤の細かな描写はとても語りつくせない。小さな足の動きから、目線のゆくえ、挿入される静物カット・・・映画館にメモを持ち込んで、あと10回みても足りないだろう。Blu-rayディスクが発売されれば、100回でも観直すだろう。最後に希美は言う。フルートはみぞれのオーボエになんとかあわせるよ、と。これは最早、別れの言葉だろう。
 ここで、みぞれは「大好きのハグ」をしようとする。「この前」と同じように両手を広げるみぞれ。全くうけつけない希美。だが、次の瞬間みぞれは倒れ込むようにして希美の身体を抱きしめる。これはこの映画で最も衝撃的な瞬間だろう。「あっ」と小さく声を上げるか、思わず息を呑む瞬間だ。さあ、「大好きのハグ」とはそもそも何か、その意味を考えよう。
 
  「大好きのハグ」とは 希美とみぞれの出身中学で流行っていた大好きな友達とハグしながらお互いの好きなところを言い合う“遊び”である。これを二人は映画の前半のところで、低音パートが練習している教室の前で偶然耳にする。二人と同じ中学の出身者がいたらしい。甘ったるい子供の遊びのようなもので、高校生がやるにはいささか気恥ずかしいものがある。だが、相手からの信頼と自己肯定感が同時に得られる精神安定剤のような効果があると予想できる。そして、希美とみぞれの「大好きのハグ」には三つの段階がある。
 中学時代よくやったという希美に対し、みぞれは見ているだけだったという。それを聞いた希美は「じゃ、やろう」と両手を広げる。あまりのことに固まってしまうみぞれ。みぞれが希美に「大好きのハグ」をしてもらいたいことは明白だ。だが、やはり、みぞれは諾否をはっきりと表すことができない(ここらへんのところはこの映画を見ている観客もみぞれの優柔不断さにいいかげんイライラするところなのかもしれない)。希美は「いやだった?」と冗談交じりにみぞれの頭を撫でて、自分の教室に行ってしまう。これが「第一段階」である。
 「第二段階」は希美とみぞれの亀裂が決定的になったころのことである。希美はオーボエソロのところ、もう一回やろうとみぞれに言った後、新山先生に音大受験のことを告白する。だが、新山は希美の名前すらすぐには出てこない。希美のショックは計り知れない。誰もいない廊下で失意の希美をみぞれが見つけるのはこの後である。「何か怒ってる?」と問うみぞれ。何もないという希美を信じられないみぞれは突然、両手を広げ、「大好きのハグ」をここで「して欲しい」と希美にお願いする。希美は一瞬の間の後、「今度ね」とにべもなく振り向いて行ってしまう。
  さて、この第一段階と第二段階の共通点はなんだろうか。それは言うまでもなくみぞれが「される側」にあるということである。第一段階では希美がやろうと手を広げているにもかかわらず応えることもできない。第二段階では、自分から進んで手をひろげるが、あくまで希美に「して」と言う。みぞれはずっと昔から優柔不断で、人にしてもらうことばかりを望んでいたのではなかったろうか?何かをやるのも自分のためではなく誰かのためにやってきたのではなかったろうか?
  この二人だけの理科室でみぞれはとうとう自分から大好きのハグを希美にした。自分の手で希美を強く抱きしめた。これがみぞれの第三段階の大好きのハグだ。なぜならば、それがあの時、この理科室で悟った「リズと青い鳥」の物語の答えだったからだ。振り返るならば、先の音楽室のオーボエ・ソロは指導者の滝昇が課題曲を練習しようと言っているにもかかわらず、手を挙げて、自ら楽曲「リズと青い鳥」第三楽章を通しでやりたいとはっきり声に出して提案して行われた。あれだけ恐れていたオーボエのソロに自分のすべてを込めることができた。大好きな希美に何を言われても自分の気持ちをはっきり言うことができた。そして、「大好きのハグ」を大好きな希美にした。言うまでもなくそれがみぞれの「〓の形」に他ならない。
 
 みぞれに抱かれながら、みぞれの腰にそっと手を添える希美。それでも「一人の私に声をかえてくれて、吹部に誘ってくれた」と言うみぞれに「それ、あんまりうよく覚えていないんだよなあ」と返す。「なんでそんなに言ってくれるのかわからない」と抵抗するのぞみ。それでも構わずみぞれは希美の好きなところを言い続ける。最後に希美は返す。「みぞれのオーボエが好き」
 
  帰り道の廊下で、希美は中学の時、最初にみぞれに声を掛けた時のことを思い出す。鮮明に思い浮かべられる幼いみぞれの顔。びっくりしているような、少し怯えているような、それでもいっぱいに見開かれた両眼(その中心に青い色はない)は希美を真正面に捉えて離さない。それはアヴァンタイトル部分でのみぞれが思い出していたこのシーンの時より圧倒的に鮮明な記憶だ。言葉に反して彼女はこの時の記憶を忘れたことがなかったのだろう。でかかった息をなんとか飲み込むような希美。廊下の外では夕陽を浴びて二羽の鳥(水鳥?)が寄り添うように飛んでいる。逆光を受けた影のせいでその鳥たちはどこか青く見える。
 
 
■ラスト・シークエンス 飛び立つ青い鳥たちとハッピーアイスクリーム
 
  図書室。再び図書委員ともめているみぞれ。仲介に入る希美。何度目かの反復シーン。しかし、「これ借ります」と希美が置いた本は「一般大学向け」の数学の受験参考書だった。ちなみに「美大向け」とか「医学部向け」とかの受験参考書はあっても「一般大学向け」と銘打った参考書は現実には存在しないだろう。それは希美が音大を受験しないという意思の表現に他ならない。
  その後、二人はしっかりとした足取りで歩いて行く。そして、希美は左へ曲がる。曲がり方は先述のアヴァンタイトルの時のようにシュインとスィングする。次にみぞれが反対の右に曲がる。この時、みぞれはあのアヴァンの時は真似できなかった希美のスイングをそっくりにやってみせるのだ。図書館の席について受験勉強を始める希美。みぞれは音楽室に向かっている。歩くみぞれの後ろ髪は小さくではあるが、希美のポニーテールのように、リズミカルに左右に揺れている。音楽室の席についてオーボエの練習を始めるみぞれ。二人は別々の方向に向けて自分の足で歩きだしたのだ。みぞれの窓の後ろを小鳥が飛んでいく。図書室でも希美の後ろを小鳥が飛んでいく。色はわからない。だが、これは両方とも青い鳥に他ならない。どちらがリズで、どちらが青い鳥であったかなどはもうどうでもいいことだ。お互いがお互いのリズであり、青い鳥であったのだ。剣崎梨々花が希美に贈与したたまごがここに孵化したのだ。二人の「気づき」のシーンを思い出そう。一斉に飛び立った無数の青い鳥たちはすべて少女たちの心の中にいる青い鳥だったのだ。
  
  夕陽に照らされた昇降口。校門で下校するみぞれを待っていた希美。青い早朝の校門で希美を待っていたみぞれのアヴァンタイトル部と明確に対をなすラスト・シーンの始まりだ。
  いかにも仲良さそうに共におしゃべりをしている二人。だが、階段を降りるふたりはふと立ち止まって改まる。この階段では希美が下に位置して、みぞれが上に位置している。希美ははっきりとみぞれに言う。「私は一般大学に行く。フルートはみぞれのオーボエをしっかり支えられるようにがんばる。今はまだだけど、もうちょっと待って」。それに応えるみぞれははっきりと声に出して言う。「私もオーボエを続けていく」と。それは決別の言葉ではもちろんない。違う道だけど共に歩んでいこうという言葉である。
  階段を降りて、共に歩みながら、二人は同時に「本番、がんばろう!」と声を揃える。最初に「本番なんて一生こなければいい」などと言っていたみぞれのことを思い出すとこの二人のシンクロは非常に感慨深いものがある。しかし、このシンクロにみぞれはすかさず「ハッピー・アイスクリーム」と叫ぶ。
 「ハッピー・アイスクリーム」とは、あの先述の音楽室での「プール・インシデント」の場面で、希美にプールに誘われるみぞれがその直前にたまたま耳にするTV版レギュラー出演の加藤葉月(チューバ担当)と川島緑輝コントラバス担当)の会話に登場する「ゲーム」のことである。二人が思わず同時に同じ言葉を声を揃えて言ってしまった時(この時、ちなみに葉月とみどりは「あーおなかすいた、あまいものたべたーい」だった)、相手より早く「ハッピー・アイスクリーム」と宣言すると、宣言された方は宣言した方にアイスクリームをおごらなければならないという他愛のないルールのゲームである。
 このラストの感動的な部分で、そんなことを思い出して、律儀に実行すみぞれに私たち観客は思わず噴き出しそうになる、と同時に、どこか安心する。みぞれは強くなったけど、人が変わってしまったわけではない、天然なところは変わってないんだと。それはすなわち心の成長なのだろう。希美は希美でそんな言葉に動じないかのように、「なんだ、アイスクリームが食べたかったんだ~」と返す。相変わらずのいつもの二人である。だが、最後に希美は振り返って、何かを話す。それを聞いたみぞれをびっくりした顔でうれしいそうに顔を真っ赤にする。これまで何度か反復されてきたOFFセリフである。希美はいったい何と言ったのか?今回は希美が後ろを向いているのでその唇を読むことはできず、顎の動きを読む他はない。想像できるのは「大好き」である。
 
 
■蛇足
 
 スクリーンに表れる「disjoint」の文字。その「dis」の部分が上から架空のペン書きで消され、「joint」だけが残る。二人は「互いに素」の関係から、本当の「joint」の関係になったことが確認される。リズと青い鳥の結合、赤と青の結合、そして、joint …。正に待望のさわやかなハッピー・エンドである。
  だが、筆者には一つひっかかることがある。それは最後の希美のOFFセリフである。確かに、「大好き」はみぞれや剣崎梨々花たちが口にしてきた言葉だが、希美が口にしたことをは一度もなかった。それを最後の最後に彼女に言わせることには大いに意味があると思う。だが、それはどうにも安易なように思えてならない。私たちはこの最後の希美のOFFセリフを簡単に決めつけてはならないのではないだろうか? では、それは一体何だったのか? 考えてみると、ここで突然、希美が「大好き」と言うのは「ハッピー・アイスクリーム」並みに唐突で、それまでの会話の流れを断ち切ってしまう。会話の流れを断ち切らず、みぞれを赤面させ、200%みぞれを喜ばせる言葉。それはおそらく、こうだと思う。
 
「大丈夫!おごるから」
 
希美は、みぞれが「ハッピー・アイスクリーム」と叫んだ最初から、このゲームのことをちゃんと知っていた、筆者にはそう思えてならない。
 
 
 ■結び
 
 『リズと青い鳥』は思春期の少女たちの友情と成長を繊細なタッチで丁寧に描き切った第一級の青春映画である。アニメ映画という分野でこれほど思春期の青年たちの心理を深く浮彫にした作品を他に知らない。
 だが、娯楽作品としての映画という意味では、若干、吸引力に欠けていた部分がないわけではない。最初にみぞれのこぼれ落ちそうな瞳に魅了されなければ、揺れ動く心の機微を丹念に追い続けることは、一般の観客には少し厳しいことなのかもしれない。中にはこれを山田尚子監督のプライベートフィルム的作品と捉える向きもあるだろう。そういう意味では新海誠監督がTwitterで賛辞を贈るのも頷ける。あの『君の名は。』を撮るまで、彼は彼のプライベートフィルムを発表し続けていたように思えるからだ。そういう意味では『響け!ユーフォニアム』という大ヒットアニメのスピン・オフとして、商業ベースで山田尚子監督のこのような作品が鑑賞できたことは僥倖と言っていいだろう。今のアニメ映画業界の現状を考えてもそうあることではないだろう。娯楽作品として充分な形式を備えた映画『聲の形』のような作品が撮れる山田監督なら尚更のことだ。
 
  ここに記した分析はこの映画を4回鑑賞した記憶を頼りに考察した、ひとつの解釈に過ぎない。引用したセリフははっきり言って正確かどうかわからないし、おそらく単純に読み間違えている部分、誤解している部分が山ほどあるにちがいない。一回観ただけで立派なライナーノーツが書ける評論家のみなさんには正直、頭が下がる思いだ。だが、もし、これを読んだ皆さんがこの『リズと青い鳥』という映画をもう一度観てみようと映画館に足を運んで下さったら、そして、お前の言っていることはここが違うぞ、いや、こうだったじゃないか、などといろいろ思って頂ければ、それはもう存外の喜びである。(了)